
年表NENPYO
戦国時代の年表
応仁の乱から、大坂の陣まで。
全70件
合戦・事件、政治、文化。戦国の出来事を年代順にたどる。
全70件70件
乱世の幕開け
7件
- 1467年5月応仁元年政治
応仁の乱
戦国乱世を招いた大内乱
1467年、京都で細川勝元と山名宗全が争い、将軍家の後継問題から全国規模の戦乱へ発展。約11年の内乱で室町幕府の権威は失墜した。なぜ戦国時代の幕開けと位置づけられるのか、原因と影響を読み解く。

- 1493年4月明応二年政治
明応の政変
戦国始動を告げる将軍交代
1493年、京都で管領・細川政元が将軍足利義材を廃し、足利義澄を擁立。幕府秩序の動揺は下剋上を加速させ、戦国時代の実質的な起点ともされる。なぜこの政変が時代転換点なのか、背景から解説。

- 1543年8月天文十二年文化
鉄砲伝来
日本の戦を変えた新兵器
1543年、種子島に漂着したポルトガル人が火縄銃を伝え、島主・種子島時堯が製法導入を進めた。新兵器は各地へ急速に広がり、戦術と権力争いを変質させた。なぜ戦国史の転換点なのか、普及の意味を読む。

- 1549年8月天文十八年文化
キリスト教伝来
南蛮文化流入の起点
1549年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが薩摩・鹿児島に上陸し、日本で布教を開始。大名や商人を通じて南蛮文化も広がり、宗教と外交の構図を変えた。なぜ後世まで影響したのか、広がりを解説。

- 1553年–1564年合戦・事件
川中島の戦い
1561年の激戦・勝敗と一騎打ち
川中島の戦いで最大の激戦は1561年の第四次合戦。いつ・何年に、今のどこで戦ったのかを5回の年表でわかりやすく解説。勝者と結果、一騎打ちの真偽、北条氏との関係、長野市の古戦場・跡地をたどる地図も紹介する。

- 1555年10月1日合戦・事件
厳島の戦い
毛利元就はなぜ勝てた?場所・布陣図・戦法
厳島の戦いは1555年、安芸の厳島で毛利元就が陶晴賢を破った合戦。いつ・どこで起きたか、なぜ勝てたかを布陣図とともにわかりやすく解説。宮尾城の攻防、村上水軍、奇襲の戦法、古戦場・史跡も史料からたどる。

- 1556年4月20日合戦・事件
長良川の戦い
1556年、道三と義龍はなぜ戦ったのか
長良川の戦いは1556年、斎藤義龍が父の斎藤道三を破った合戦。いつ、どこで、なぜ戦ったのかをたどり、場所と地図、兵力説、織田信長の救援、明智光秀と竹中半兵衛の伝承、桶狭間の戦いとの違いを史料から読み分ける。

信長の時代
34件
- 1560年5月19日合戦・事件
桶狭間の戦い
何年・場所・結果と信長がなぜ勝てたかを解説
桶狭間の戦いは1560年、織田信長が今川義元を破った合戦。何年・誰と誰・場所・結果をわかりやすく整理し、なぜ勝てたのか、雨と鉄砲、徳川家康の役割、秀吉の戦功をめぐる史料の限界まで解説する。

- 1565年5月19日合戦・事件
永禄の変
1565年の将軍襲撃、原因・首謀者と義輝の最期
永禄の変は1565年5月19日(旧暦)、京都の二条御所で足利義輝が命を落とした事件。いつ・どこで・なぜ起きたのか、三好三人衆ら首謀者の問題、松永久秀の関与、慶寿院の最期、刀と三日月宗近の伝承を史料からたどる。

- 1567年8月1日合戦・事件
稲葉山城の戦い
1567年の美濃攻略と半兵衛・秀吉
稲葉山城の戦いを、いつ・どこで・誰が戦ったかからわかりやすく整理。1567年に信長が斎藤龍興を破った理由と期間、竹中半兵衛の城取りとの違い、秀吉の抜け道・墨俣一夜城の逸話を史料に照らしてたどる。

- 1568年9月12日合戦・事件
観音寺城の戦い
1568年の信長上洛と秀吉の役割
観音寺城の戦いは1568年、信長の上洛を阻む六角氏との戦役。いつ・どこで起きたか、城主の六角義賢・義治、秀吉の箕作城攻め、光秀との関係を史料からたどる。安土城との違いと、無血開城の範囲も整理する。

- 1568年9月永禄十一年政治
信長上洛
天下布武への第一歩
1568年、織田信長が足利義昭を奉じて美濃から京都へ進軍し、室町幕府を再興。畿内支配への足場を築き、天下布武が本格化する契機となった。なぜ上洛が全国政局の流れを変えたのか、意味を読む。

- 1569年1月上旬合戦・事件
本圀寺の変
1569年の将軍襲撃、秀吉・小一郎との関係
本圀寺の変は1569年、三好三人衆らが京都で足利義昭を襲った事件。なぜ「変」なのか、本能寺の変との違い、秀吉・小一郎(豊臣秀長)の関与、斎藤龍興の参戦、場所とその後を史料からわかりやすく解説する。

- 1570年4月下旬合戦・事件
金ケ崎の退き口
1570年の撤退ルートと秀吉のしんがり
金ケ崎の退き口は1570年、浅井長政の離反を受けて織田信長が越前から京都へ退いた撤退戦。読み方と場所、若狭・朽木越えのルート、秀吉・明智光秀・徳川家康の役割、秀吉の怪我説と姉川の戦いへの経過を史料からたどる。

- 1570年6月28日合戦・事件
姉川の戦い
1570年の勝敗・徳川家康と浅井長政
姉川の戦いは1570年、現在の滋賀県長浜市で織田信長・徳川家康が浅井長政・朝倉軍を破った合戦。場所と布陣図、秀吉のしんがりとの違い、お市の逸話、戦いの後と跡地を、史料をもとにわかりやすく解説する。

- 1570年8月26日合戦・事件
野田・福島の戦い
1570年、信長と本願寺の開戦
野田・福島の戦いは1570年、現在の大阪市福島区周辺で起きた。場所と経過、織田信長に抗した三好方と本願寺、雑賀衆の鉄砲、浅井長政らの近江出兵が信長の撤退に及ぼした影響を史料からたどる。

- 1570年9月16日合戦・事件
宇佐山の戦い
1570年、森可成の最期と織田信長の帰還
宇佐山の戦いは1570年、森可成が浅井・朝倉勢を迎え撃った合戦。森可成と織田信治の討死、残兵による守城、織田信長の帰還をたどり、兵力や命日の史料差、志賀の陣との関係を確かめる。

- 1570年9月–1580年合戦・事件
石山合戦
1570〜1580年、織田信長と本願寺の戦いをわかりやすく解説
石山合戦は1570〜1580年、織田信長と顕如の本願寺が戦った長期戦。場所は現在の大阪城付近。なぜ起こったのか、一向一揆との関係、木津川口の攻防、講和の結果と死者数の限界を史料からたどる。

- 1571年9月12日合戦・事件
比叡山焼き討ち
1571年、信長はなぜ延暦寺を攻めたのか
比叡山焼き討ちは1571年、織田信長が延暦寺と山麓を攻撃した事件。なぜ起きたのか、明智光秀の書状、秀吉と復興、女性や子供の被害を史料でたどり、足利義教の時代との違いや新説が示す範囲を確かめる。

- 1572年5月4日合戦・事件
木崎原の戦い
1572年、島津義弘の勝因と戦死者・場所
木崎原の戦いは1572年、現在の宮崎県えびの市で島津義弘が伊東軍を破った合戦。戦死者数の異説、古戦場の場所、相良氏の援軍と撤退の伝承、三百対三千と釣り野伏せの実像を、自治体資料と後世の地誌から読み解く。

- 1572年10月合戦・事件
二俣城の戦い
1572年の勝敗と勝頼の役割をわかりやすく
二俣城の戦いは1572年、武田信玄・勝頼方が徳川方の城を奪った攻城戦。勝敗を分けた給水遮断、勝頼と重臣の役割、井戸櫓の逸話をわかりやすく整理し、開城日の異説と1575年の家康による奪還を読み分ける。

- 1572年12月22日合戦・事件
三方ヶ原の戦い
1572年の結果・敗因と家康の脱糞伝説
三方ヶ原の戦いは1572年、武田信玄が徳川・織田軍を破った合戦。結果と敗因、浜松の戦場、家康の年齢、討ち死にした武将をわかりやすく解説。本多忠勝・真田昌幸の関わりと、脱糞・しかみ像の伝説も出典から確かめる。

- 1573年7月天正元年政治
室町幕府滅亡
240年政権の終焉
1573年、織田信長が京都で将軍足利義昭を追放し、約240年続いた室町幕府は事実上終焉。足利将軍家の権威崩壊は天下再編を決定づけた。何が終わり、次代の覇権争いがどう始まったのかを読む。

- 1573年8月13日合戦・事件
一乗谷の戦い
1573年の場所と経過、朝倉氏滅亡
一乗谷の戦いは1573年、現在の福井県で朝倉氏が滅亡した戦い。場所を公式地図で確かめ、刀根坂から義景の最期までをわかりやすくたどる。姉川・小谷城との関係、秀吉の書状、義経の一ノ谷との違いも整理。

- 1573年8月27日合戦・事件
小谷城の戦い
1573年の布陣図と浅井長政の最期
小谷城の戦いを、滋賀県長浜市の場所と城内の布陣図からわかりやすく解説。1573年の浅井長政の最期、秀吉の京極丸攻略、姉川の戦いと徳川家康との関係、お市の方・万福丸のその後を史料でたどる。

- 1574年5月12日合戦・事件
第一次高天神城の戦い
1574年、難攻不落の城を勝頼が攻略
第一次高天神城の戦いは、1574年に武田勝頼が城主・小笠原氏助を降伏させた攻城戦。難攻不落とされた城の場所と地図、攻撃と開城交渉、届かなかった援軍を解説し、1581年の兵糧攻めや弥助との関係も史料から確かめる。

- 1575年5月21日合戦・事件
長篠の戦い
場所・鉄砲・勝者を地図とともに解説
長篠の戦いは1575年、今の愛知県新城市で織田信長・徳川家康が武田勝頼を破った合戦。何時代に誰と誰が戦ったのか、場所と地図、鉄砲三段撃ちの真偽、秀吉の役割、武田信玄との関係、古戦場の見どころまで解説する。

- 1576年7月–1578年合戦・事件
木津川口の戦い
場所と地図、村上水軍と鉄甲船の勝敗
木津川口の戦いは1576年と1578年、石山本願寺への補給をめぐる海戦。場所と砦の位置関係を地図で示し、村上水軍が勝った第一次、九鬼嘉隆の鉄甲船が勝った第二次の違いと、船の構造に残る謎を史料から解説する。

- 1577年9月23日合戦・事件
手取川の戦い
1577年、秀吉の離脱・処分と真実
手取川の戦いをわかりやすく解説。1577年の上杉謙信と柴田勝家の戦役を、場所・布陣図・参戦武将から整理する。秀吉はなぜ離脱し、どんな処分を受け、その後どうなったのか。「戦いはなかった」説も史料から検討する。

- 1577年10月1日合戦・事件
信貴山城の戦い
1577年、秀吉・光秀と松永久秀の最期
信貴山城の戦いは1577年、松永久秀・久通父子が織田信忠軍に敗れた籠城戦。読み方、現在の場所と地図、天守の姿、松永軍の動き、秀吉・光秀の役割をたどり、平蜘蛛茶釜の爆死伝説を史料と分けて解説する。

- 1577年11月28日–1578年合戦・事件
上月城の戦い
第一次・第二次の史実と秀吉が退いた理由
上月城の戦いは1577年の秀吉による攻略と、1578年の毛利軍による包囲に分かれる。惨殺・皆殺し・磔の史料、救援を断念した理由、黒田官兵衛の役割、尼子勝久と山中鹿介のその後を地図とともに解説。

- 1578年3月上旬–1580年合戦・事件
三木合戦
兵糧攻めの戦い方・場所・勝敗と三木の干殺し
三木合戦は1578〜1580年、現在の兵庫県三木市で起きた秀吉と別所長治の戦い。発生日と期間、兵糧攻め「三木の干殺し」の戦い方と勝敗、荒木村重の離反、竹中半兵衛の死、鳥取の飢え殺しとの違いを解説する。

- 1578年5月5日–1580年合戦・事件
御館の乱
1578年の勢力図と武田勝頼の選択
御館の乱とは、1578年に始まった上杉景勝と景虎の家督争い。読み方や時期・場所を押さえ、勢力図、武田勝頼の判断が失敗とされる理由、直江兼続の役割、鮫ヶ尾城での決着を史料と遺跡からたどる。

- 1578年10月下旬–1579年合戦・事件
有岡城の戦い
黒田官兵衛の幽閉、村重の妻だしと処刑
有岡城の戦いは1578〜1579年、現在の兵庫県伊丹市で起きた荒木村重と織田信長の戦い。黒田官兵衛の幽閉、秀吉の役割、村重の妻だしらが処刑された場所と日付、落城の経過と村重のその後を史料から解説する。

- 1578年11月12日合戦・事件
耳川の戦い
1578年、大友軍の敗因と戦死者
耳川の戦いとは、1578年に日向の高城・小丸川で大友軍が島津軍に敗れた合戦。いつ、どこで戦ったのかを地図と布陣図で整理し、兵力の諸説、戦死者、釣り野伏せと敗走の違い、現在の古戦場をわかりやすく解説する。

- 1579年9月–1581年合戦・事件
天正伊賀の乱
なぜ起きた?二度の戦いと結果
天正伊賀の乱はなぜ起きたのか。1579年と1581年の違い、場所と結果をわかりやすく整理。織田信雄・信長と伊賀衆の戦いを史料でたどり、無門の実在性、服部半蔵と翌年の伊賀越えの関係まで確かめる。

- 1580年8月–1581年合戦・事件
第二次高天神城の戦い
1581年、難攻不落の城と兵糧攻め
第二次高天神城の戦いは、1580〜1581年に徳川家康が武田方の城を兵糧攻めで奪還した攻城戦。難攻不落と呼ばれた理由、場所と六砦の地図、城主岡部元信の最期、勝頼の救援と信長の書状、弥助との関係を史料から確かめる。

- 1581年7月12日合戦・事件
鳥取城の戦い
兵糧攻めの期間と「鳥取の渇殺し」の実像
鳥取城の戦いは1581年。豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の兵糧攻めはいつからいつまで続いたのか。約100日の包囲、鳥取の渇殺し、人肉・脳みそに関する史料の記述、吉川経家の最期を出典とともに解説する。

- 1582年2月3日合戦・事件
甲州征伐(甲州崩れ)
1582年のルート・兵力・勝敗
甲州征伐は1582年、織田信忠らの侵攻で武田勝頼が敗れた戦役。甲州崩れとも呼ばれる。読み方と時期、進軍ルート、兵力と戦功を整理し、真田・北条・秀吉の関わり、浅間山の噴火説まで史料からわかりやすくたどる。

- 1582年5月合戦・事件
備中高松城の戦い
水攻めの仕組み・堤防と清水宗治
備中高松城の戦いとは、1582年に秀吉が清水宗治の城を水攻めした攻城戦。どこで、なぜ、どうやって水をためたのかを地図と地形から解説する。堤防の発掘成果、秀長の布陣、本能寺の変、宗治の切腹と勝敗まで追う。

- 1582年6月2日合戦・事件
本能寺の変
1582年の謀反と黒幕・遺体の謎
本能寺の変は1582年、旧暦6月2日に明智光秀が織田信長を襲った事件。日付と経緯を簡単に押さえ、なぜ起きたのか、黒幕説、信長の遺体の行方、信澄の死、豊臣秀吉の中国大返しを史料から解説する。

天下統一へ
20件
- 1582年6月上旬合戦・事件
中国大返し
何日かかった?距離・ルートと真相
中国大返しは何日かかったのか。1582年の備中高松から山崎への行軍を、日数の数え方と約200〜230kmの距離、姫路を経るルートから解説。黒田官兵衛の役割、「不可能」「嘘」説と新説を当時の書状で検証する。

- 1582年6月13日合戦・事件
山崎の戦い
勝敗・光秀の敗因と場所を地図で解説
山崎の戦いは1582年の旧暦6月13日、羽柴秀吉方が明智光秀を破った合戦。いつ・どこで戦い、なぜ光秀は負けたのかを地図とともに解説。秀吉不在説、総大将の信孝、天王山の真実、古戦場の見どころも紹介する。

- 1582年6月合戦・事件
天正壬午の乱
1582年の結果・勢力図と真田昌幸
天正壬午の乱は1582年、本能寺の変後に徳川・北条・上杉が旧武田領を争った戦乱。読み方、いつ・どこで起きたか、結果と勢力図をわかりやすく整理し、真田昌幸の動向、黒駒合戦、和睦後に残った沼田問題をたどる。

- 1583年4月20日合戦・事件
賤ヶ岳の戦い
1583年の布陣と勝敗、前田利家の撤退
賤ヶ岳の戦いは1583年、現在の滋賀県長浜市で羽柴秀吉が柴田勝家を破った合戦。きっかけと布陣図、中川清秀の戦死、前田利家の「裏切り」説、七本槍をわかりやすく解説。お市の方の最期と、戦後の徳川家康との関係もたどる。

- 1584年3月6日合戦・事件
小牧・長久手の戦い
勝敗・家康の勝因を地図でわかりやすく
小牧・長久手の戦いは1584年、長久手では家康方が勝利し、戦争は秀吉と信雄の講和で終わった。場所と地図、中入りと勝因、戦死武将、秀長・秀次・黒田官兵衛の役割、その後の臣従と天正地震を解説。

- 1584年3月24日合戦・事件
沖田畷の戦い
1584年、龍造寺隆信の敗因と布陣図
沖田畷の戦いとは、1584年に島原で有馬・島津連合軍が龍造寺隆信を破った合戦。読み方と日付、場所・地図・布陣図、兵力の諸説、敗因と戦死者を解説し、新説や弥助参戦説の根拠、現在の古戦場も確かめる。

- 1585年3月21日合戦・事件
紀州征伐
1585年の豊臣秀吉と秀長、信長との違い
紀州征伐とは、1585年に豊臣秀吉が紀伊の根来衆・雑賀衆を攻めた戦い。いつ、なぜ起きたのかを、太田城の水攻めと高野山の交渉から解説する。豊臣秀長の役割、織田信長の1577年の紀州攻めとの違いもたどる。

- 1585年6月合戦・事件
四国征伐
1585年、秀長が率いた秀吉の四国攻め
四国征伐とは、1585年に秀吉が長宗我部元親を降した戦い。読み方、総大将・秀長と参戦武将、三方面の兵力、一宮城の攻防、土佐一国を残した結果を解説。1582年の織田信長の四国攻めとの違いも、書状と研究から整理する。

- 1585年閏8月2日合戦・事件
第一次上田合戦
1585年の結果・布陣図と史実
第一次上田合戦は1585年閏8月2日、真田昌幸・信幸が徳川方を退けた戦い。いつ、なぜ起きたかと結果を簡単に整理し、布陣図で戦場を確認。上杉の支援、真田幸村の参戦説、『真田丸』と史実の違いも出典から読み解く。

- 1586年7月合戦・事件
岩屋城の戦い
1586年、高橋紹運と島津の攻防
岩屋城の戦いは1586年、現在の福岡県太宰府市で高橋紹運が島津軍と戦い、旧暦7月27日に落城した攻城戦。戦いの場所と経過、立花山城の戦いとの違い、763人の伝承をたどり、古戦場・岩屋城跡の見どころも紹介する。

- 1586年12月12日合戦・事件
戸次川の戦い
1586年、大友救援軍の敗因と戦死者
戸次川の戦い(へつぎがわのたたかい)は、現在の大分市を流れる大野川で起きた合戦。大友救援軍が敗れた理由、長宗我部信親ら戦死者、仙石秀久の処分を史料から解説し、古戦場の場所と大野川合戦まつりも紹介する。

- 1587年3月1日合戦・事件
九州征伐
1587年、秀吉と秀長が島津を降す
九州征伐とは、1587年に豊臣秀吉が島津氏を服属させた遠征。読み方と時期、総大将の秀吉と日向方面を率いた秀長、兵力の諸説、長宗我部父子の戸次川、秋月氏の降伏、戦後の領地配分を史料と地域史からたどる。

- 1587年4月17日合戦・事件
根白坂の戦い
1587年、砦の激闘と古戦場の地図
根白坂の戦いは1587年、宮部継潤の砦が島津軍の夜襲を退けた九州征伐の転換点。豊臣秀長の高城包囲、藤堂高虎らの救援、義久降伏までを解説。出典付き布陣図と古戦場の地図で、激闘の経過と現在の訪問先をたどる。

- 1590年3月1日合戦・事件
小田原征伐
1590年の勢力図・兵力と北条が敗れた理由
小田原征伐は1590年、豊臣秀吉が北条氏を降した戦い。いつ、なぜ起きたのかを勢力図と兵力からわかりやすく解説。北条に勝ち目はあったのか、伊達政宗・秀長・真田の動向、結果とその後の関東移封まで史料でたどる。

- 1590年7月天正十八年政治
天下統一
秀吉が全国支配を完成
1590年、豊臣秀吉が相模・小田原城を包囲して北条氏を滅ぼし、奥州仕置で全国支配を確立。戦国大名の独立性は抑えられ、統一政権が完成した。何が終わり、次の時代へどうつながるのかを解説。

- 1592年4月–1593年合戦・事件
文禄の役
1592年の朝鮮出兵・結果と慶長の役との違い
文禄の役は1592年に始まった豊臣秀吉の朝鮮出兵。読み方、なぜ起きたか、李舜臣の水軍と明の参戦、戦った国と結果を日本・中国の資料でわかりやすく整理。慶長の役との違い、1598年の撤退までを比較表と年表でたどる。

- 1593年1月26日合戦・事件
碧蹄館の戦い
1593年、文禄の役と立花宗茂
碧蹄館の戦いの読み方は「へきていかんのたたかい」。1593年、文禄の役で立花宗茂・小早川隆景らが明軍を撃退した。現在の韓国・高陽市にあたる場所、宗茂の戦功と犠牲、朝鮮出兵全体への影響を史料からたどる。

- 1597年1月–1598年合戦・事件
慶長の役
1597年の再出兵、原因・結果と文禄の役との違い
慶長の役は1597〜1598年、豊臣秀吉が朝鮮へ再出兵した戦争。読み方、いつ・どこで起きたか、戦った国、原因と結果、文禄の役との違いを解説。朝鮮での別名や蔚山・泗川・露梁の戦いも、日本・中国の史料からたどる。

- 1597年12月22日–1598年合戦・事件
蔚山城の戦い
1597〜1598年・慶長の役と加藤清正の籠城
蔚山城の戦いは慶長の役で起きた二度の攻防。1597〜1598年、加藤清正・浅野幸長の籠城と水・兵糧不足、立花宗茂らの救援、小早川秀秋の参戦説を史料からたどり、城を守った結果と日本軍撤退までを読み解く。

- 1598年10月1日合戦・事件
泗川の戦い
1598年、島津義弘・忠恒の勝因と兵力の諸説
泗川の戦いは1598年、島津義弘・忠恒が董一元の明軍を退けた攻城戦。兵力7,000対20万や討取数の誇張、釣り野伏せと鉄砲、鬼島津の異名、立花宗茂との関係を史料からたどる。

江戸の世へ
9件
- 1600年7月19日合戦・事件
伏見城の戦い
1600年・鳥居元忠の籠城と血天井
伏見城の戦いは1600年、鳥居元忠ら徳川方の籠城衆を西軍が攻め落とした関ヶ原の前哨戦。場所と約2週間の攻防、石田三成・島津の動向、甲賀勢の寝返り伝承と穴太衆の違い、血天井とその後を史料からたどる。

- 1600年8月22日合戦・事件
岐阜城の戦い
1600年、関ヶ原前哨戦と血天井
岐阜城の戦いは1600年、関ヶ原の戦いに先立つ東軍の勝利。織田秀信は自害せず降伏した。福島正則・池田輝政の攻撃から、崇福寺の血天井、家臣の自害をめぐる逸話まで、史料と伝承を分けてたどる。

- 1600年9月上旬合戦・事件
第二次上田合戦
1600年の結果と秀忠の軍令違反説
第二次上田合戦は1600年、真田昌幸・信繁が徳川秀忠軍から上田城を守った戦い。いつ起き、誰が勝ったのかを簡単に整理し、人数・参戦武将・布陣図、関ヶ原への遅参と軍令違反説を史料から解説する。

- 1600年9月15日合戦・事件
関ヶ原の戦い
東軍・西軍と勝敗をわかりやすく
関ヶ原の戦いは1600年、今の岐阜県関ケ原町で起き、徳川家康の東軍が勝利した。秀吉の死後のきっかけ、石田三成ら西軍との勢力図・布陣図、小早川秀秋の裏切り、黒田官兵衛の動きと戦いのあとをわかりやすく解説。

- 1600年10月14日合戦・事件
柳川の戦い
1600年、難攻不落の柳川城と立花宗茂の開城
柳川の戦いは1600年、関ヶ原後の筑後で起きた合戦。城主・立花宗茂の軍が江上・八院で鍋島直茂勢に敗れ、加藤清正・黒田如水との交渉を経て開城した。難攻不落と呼ばれた柳川城の実像と、城主交代の経緯をたどる。

- 1603年2月慶長八年政治
江戸幕府開設
徳川260年の出発点
1603年、徳川家康が京都で征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開設。関ヶ原後の覇権を制度化し、約260年続く武家政権が始動した。何が整えられ、近世日本の統治と秩序はどう変わったのかを解説。

- 1612年4月13日合戦・事件
巌流島の戦い
1612年・江戸初期の決闘、勝敗と実話
巌流島の戦いは通説で1612年、江戸時代初期の決闘。勝者は宮本武蔵と伝わる。佐々木小次郎との勝敗とあらすじ、遅刻や名言、二刀流の疑問を史料で比較し、実話と後世の物語の違い、なぜ有名になったかをたどる。

- 1614年11月19日合戦・事件
大坂冬の陣
1614年の原因・真田丸・和睦を解説
大坂冬の陣は1614年、徳川家康・秀忠が豊臣秀頼の大坂城を囲んだ戦い。いつ・どこで・なぜ起きたのかを、総大将と武将、真田丸、家康本陣の布陣図、大砲と和睦、夏の陣との違いからわかりやすく解説する。

- 1615年4月25日合戦・事件
大坂夏の陣
1615年の結果と豊臣家の敗因
大坂夏の陣は1615年、徳川家康・秀忠方が豊臣秀頼方を破った戦い。いつ・どこで起きたか、冬の陣との違い、豊臣家がなぜ負けたかをわかりやすく解説。真田幸村・毛利勝永・伊達政宗の動き、布陣図、家康死亡説も確認する。

