
徳川家康
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
- 01今川・織田の人質——竹千代の苦難
- 02三方ヶ原の大敗——信玄への敗走
- 03信長亡き後——秀吉への臣従と小牧長久手
- 04関ヶ原の戦い——天下分け目の決戦
- 05征夷大将軍——江戸幕府の開府
- 06大坂の陣——豊臣家の滅亡
今川・織田の人質——竹千代の苦難

家康の遺訓「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。」
三方ヶ原の大敗——信玄への敗走

家康の処世訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」
信長亡き後——秀吉への臣従と小牧長久手

忍耐を説いた言葉「不自由を常と思えば不足なし。」
関ヶ原の戦い——天下分け目の決戦

征夷大将軍——江戸幕府の開府

大坂の陣——豊臣家の滅亡

- 01
「しかみ像」——敗北を忘れぬ戒め

三方ヶ原の大敗の直後、家康は自身の苦悶する姿を絵師に描かせたと伝わる。顔を顰め、身を縮めたその像は「顰像(しかみぞう)」と呼ばれ、家康が生涯手元に置いて驕りへの戒めとしたという。敗北の屈辱を直視し続けた姿勢が、後の慎重な用兵と不抜の忍耐につながった。
- 02
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」

信長・秀吉・家康の三英傑の性格をほととぎすの句に例えた話は江戸時代以降に広まったものだが、「鳴くまで待とう」という家康像は当時から認識されていた。桶狭間後の今川独立、信長死後の秀吉臣従、秀吉死後の天下取りまで、幾度も好機を熟成させてから動いた家康の生き様を鮮やかに映した句として今も広く親しまれている。
- 03
天ぷら好きが招いた死?

家康の死因をめぐっては諸説あるが、そのひとつに「鯛の天ぷらを食べすぎた」という逸話がある。晩年の家康は食べ物に強い関心を持ち、自ら料理の研究をしたともいわれる。天ぷらを大いに楽しんだ後から体調を崩したとされるが、実際の死因は胃がんと推定されており、天ぷらは体調悪化の一因に過ぎなかったとする見方が有力である。
- 岡崎城愛知県岡崎市
家康生誕の城。三河松平氏の本拠地であり、家康誕生の地として知られる。
- 浜松城静岡県浜松市
三方ヶ原の敗戦後も本拠としたが、のちに駿府へ移る。別名「出世城」。
- 江戸城跡(皇居)東京都千代田区
幕府を開いた本城。現在は皇居として東御苑が公開されている。
- 日光東照宮栃木県日光市
家康を東照大権現として祀る霊廟。世界遺産に登録されている。


