
柴田勝家
「瓶割りの水を飲み干し、この城と共に果てん」
- 01織田家随一の勇将——勝家の台頭
- 02「瓶割り柴田」の逸話——天王寺合戦の死闘
- 03北陸方面軍総司令官——雪の越前を制す
- 04お市の方との婚儀——信長の妹を娶る
- 05賤ヶ岳の戦い——秀吉との天下分け目
- 06北ノ庄城落城——壮絶な最期
織田家随一の勇将——勝家の台頭

北ノ庄城落城の際、勝家が発したとされる最期の言葉「さらばじゃ」——炎の中に消えた鬼柴田
「瓶割り柴田」の逸話——天王寺合戦の死闘

天王寺砦の籠城で水瓶を割り、決死の突撃を命じた逸話より「水は要らぬ、この瓶を割れ。死中に活を求めよ」
北陸方面軍総司令官——雪の越前を制す

「鬼柴田・権六」
お市の方との婚儀——信長の妹を娶る

賤ヶ岳の戦い——秀吉との天下分け目

北ノ庄城落城——壮絶な最期

- 01
瓶割りの決断——死を恐れぬ猛将

天正四年(1576年)の天王寺合戦で勝家は窮地に陥り、石山本願寺方の大軍に包囲されたと伝わる(詳細は諸説あり)。包囲された絶望的な状況で、勝家は将兵の士気を保つため水瓶を割って「退くことを禁じる」という決意を示した。この捨て身の覚悟が集団の力を引き出し、大軍の包囲を突破することに成功した。この逸話は「瓶割り柴田」として後世に広まり、織田家の猛将の気概を伝えるエピソードとなった。
- 02
信長への忠誠——叛心から生涯の忠節へ

若き日の勝家は信長の弟・信行を担いで信長に対立したこともあった。しかし信行の死後、勝家は信長に心から帰服し、その後は生涯を通じて信長の最前線を担い続けた。長島一向一揆の平定、越前一向一揆の殲滅、北陸制圧と、最も困難な任務を引き受けたのは常に勝家であった。信長から「又は修理を失ふとも、取り返しがたし」と言われたとも伝わり、信長にとって替えの利かない将であった。信長亡き後も、信長後継者として正統性を主張した勝家の姿勢には、主君への一途な忠誠が貫かれていた。
- 03
お市の方との最期——炎の中の別れ

賤ヶ岳で敗れた勝家が北ノ庄城で最期を迎えようとしたとき、妻・お市の方は子供たちを城外に送り出した後、夫と共に城に残ることを選んだ。「三人の子を頼む」と城外の者に伝え、天守に火を放つ前に二人は最後の時を過ごしたと伝わる。お市の方は浅井長政の時に続き、再び落城の炎の中に消えることになった。勝家の豪壮な生き様と、その妻の凛とした最期は、後世の文学・演劇で繰り返し描かれ、戦国の悲劇として人々の心に刻まれてきた。
- 北ノ庄城跡(柴田公園)福井県福井市中央
勝家が拠点とした城の跡地。現在は柴田公園として整備され、勝家とお市の方の像が建つ。
- 賤ヶ岳古戦場滋賀県長浜市木之本町
天正十一年(1583年)の賤ヶ岳の戦いが行われた地。勝家と秀吉が天下を争った戦場。
- 西光寺(勝家菩提寺)福井県福井市
勝家の菩提を弔う寺。勝家とお市の方ゆかりの地として今も参拝者が訪れる。
- 天王寺(大阪)大阪府大阪市天王寺区
天正四年(1576年)の天王寺合戦で勝家が窮地に立たされた地(諸説あり)。「瓶割り柴田」の逸話が生まれたとされる場所。



