関ヶ原合戦図屏風関ヶ原の戦い
1600年に起きた天下分け目の決戦。徳川家康が石田三成ら西軍を破り、江戸幕府樹立への道を開いた。
戦いの概要
慶長三年(1598年)八月、天下人・豊臣秀吉が伏見城で病没した。嫡子・秀頼はわずか六歳という幼齢で、秀吉が遺した五大老・五奉行の合議体制は早々に綻びを見せはじめる。関東二百五十万石を領する筆頭大老・徳川家康と、五奉行筆頭として豊臣政権の屋台骨を支えてきた石田三成の対立は、家康が政略結婚や私的な所領加増を進めるにつれて修復不能の段階へ至った。
慶長五年(1600年)六月、家康は会津の上杉景勝に謀反の疑いありとして、諸大名を率いて東国へ大軍を発した。これを好機と見た三成は機を見て大坂で挙兵し、毛利輝元を西軍総大将に担ぎ、家康を逆臣として打倒する旗を掲げる。
両軍が激突したのは美濃国不破郡関ヶ原。中山道と北国街道、伊勢街道が交差する東西の要衝であり、近世以前から幾度も軍勢の通過した古戦場でもあった。動員兵力は東軍約八万四千、西軍約八万二千。表面上の数字は拮抗していたが、家康はすでに開戦前から西軍諸将——とりわけ松尾山の小早川秀秋、南宮山の吉川広家らに密書を送り、内部切り崩しを着々と進めていた。
戦況の経過と小早川の裏切り
九月十五日早暁、深い霧が関ヶ原を覆っていた。霧が晴れた午前八時頃、東軍の福島正則隊が西軍主力の宇喜多秀家隊へ先制突撃を敢行し、ここに天下分け目の合戦が口火を切る。大谷吉継・島左近・小西行長ら西軍諸将は奮戦し、午前中は西軍がやや優勢に戦況を進めた。島左近は前線で銃弾を受けて重傷を負いながらも一歩も退かず、宇喜多秀家の鉄砲隊は正則勢を一時押し戻すほどの勢いを見せた。
しかし戦局を決定したのは、戦場での武勇ではなく戦の外で築かれた家康の調略網だった。正午過ぎ、家康は松尾山に布陣する小早川秀秋一万五千へ向け、督促の鉄砲を撃ち込む——いわゆる「問鉄砲」である。事前に家康と内通していた秀秋は、ついに腹を据えて西軍方の大谷吉継隊へ突撃を敢行した。盟友秀秋の裏切りを早くから疑っていた大谷吉継は、らい病による失明をおして指揮を執り壮絶な抵抗を見せたが、続く脇坂安治・朽木元綱・小川祐忠・赤座直保ら近隣諸将も雪崩を打って東軍へ寝返り、大谷隊は完全に包囲されて壊滅。吉継は自刃を遂げた。
中央の宇喜多・小西・石田諸隊もこれを境に総崩れとなる。三成本陣を守る島左近は前日からの傷を押して馬上で采配を振るったが、東軍黒田長政・田中吉政らの集中砲火を浴びて壮絶な戦死を遂げた。南宮山に布陣していた毛利秀元・吉川広家ら一万五千は、広家の主導で東軍と内通しており、合戦中ついに山を降りなかった。
戦の最終局面、退路を断たれた島津義弘ら一千五百は、敵中央突破という前代未聞の決断を下す。家康本陣の眼前を駆け抜け、伊勢街道を経て薩摩へ生還を果たした「島津の退き口」は、関ヶ原の幕引きを飾る伝説となった。三成本人は伊吹山方面へ敗走し、午後二時頃には合戦は完全に終結する。実戦闘は半日にも満たなかった。
戦後処理と江戸幕府の開幕
戦後、近江で潜伏していた三成は捕縛され、十月一日、小西行長・安国寺恵瓊とともに京都六条河原で斬首された。西軍諸将の所領九十二家・約六百三十万石が改易・減封され、東軍諸将への論功行賞によって新しい大名配置が一気に組み替えられる。福島正則は安芸広島四十九万八千石、加藤清正は肥後熊本五十二万石、黒田長政は筑前福岡五十二万石へと飛躍的に加増され、徳川譜代を取り巻く外様雄藩の体制がここに固まった。
慶長八年(1603年)二月、家康は伏見城で征夷大将軍に補任され、江戸幕府を開府する。さらに慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させたことで、戦国乱世はここに完全な終焉を迎え、徳川による約二百六十年の泰平の世「江戸時代」が幕を開けた。関ヶ原の半日が、その後二百六十年の日本の姿を決定したのである。
KEY POINTS · 合戦のキーポイント
- 01
家康の調略
戦の前から家康は西軍諸将に密書を送り、寝返りの約束を取り付けていた。
- 02
小早川の裏切り
松尾山の小早川秀秋一万五千。家康の鉄砲威嚇射撃を受けて、ついに西軍を攻撃。
- 03
毛利の不戦
南宮山の毛利秀元・吉川広家は、合戦中ついに動かなかった。
両軍の対比
徳川家康
石田三成
布陣図
- 01徳川家康(東軍)
- 02福島正則(東軍)
- 03井伊直政(東軍)
- 04藤堂高虎(東軍)
- 05黒田長政(東軍)
- 06田中吉政(東軍)
- 07石田三成(西軍)
- 08宇喜多秀家(西軍)
- 09大谷吉継(西軍)
- 10島左近(西軍)
- 11毛利秀元(西軍)
- 12長宗我部盛親(西軍)
- 13小早川秀秋(傍観・寝返り)
山岳: 笹尾山・松尾山・南宮山
布陣図
- 01徳川家康(東軍)
- 02福島正則(東軍)
- 03井伊直政(東軍)
- 04藤堂高虎(東軍)
- 05黒田長政(東軍)
- 06田中吉政(東軍)
- 07石田三成(西軍)
- 08宇喜多秀家(西軍)
- 09大谷吉継(西軍)
- 10島左近(西軍)
- 11毛利秀元(西軍)
- 12長宗我部盛親(西軍)
- 13小早川秀秋(傍観・寝返り)
山岳: 笹尾山・松尾山・南宮山